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藤岡幼稚園からのお知らせWhat's New
- 入園募集
- 令和6年度入園募集について、入園要項や願書が必要な方は園までご連絡ください。
- 幼保連携型
- 認定こども園藤岡幼稚園は、0.1.2歳から入園できます。
- 採用情報
- 令和6年度採用情報(現在、募集は行っておりません。)
教育・保育・子育て
「であい・ふれあい・ゆたかな体験を育む」を目的とし、支援します。
教育・保育に関する専門性を有する職員が、家庭との緊密な連携の下に、利用乳幼児の状況や発達過程を踏まえ、教育と保育を一体的に行います。社会の期待や願いに応えられる創意と活力ある教育・保育活動をすすめ、子ども・保護者・地域に信頼されるよう努めます。 「ありがとう」と「だいすき」の気持ちあふれる幼稚園で0歳から卒園まで「優しい心」を育て、かわいい保育室・のびのびと遊べる園庭で保育教諭が「夢」「愛情」いっぱい預かります。皆様よろしくお願いいたします。
藤岡幼稚園の歴史と歩みHISTORY
創立90周年をひかえて
近年、日本の保育現場においても「地域と共に」「地域につながる」が重要なテーマとなっています。藤岡市の就学後の学習においても、小学2年生では「まちなかたんけん」、中学2年生では「チャレンジウィーク」、そして今年度からは、新しい試みとして小学5年生が「『まちのたから』を伝え合おう~地域を支える人々~」が始まりました。いずれも、地域の担い手となる子どもたちが、将来に向けて夢や希望を持ち地域への愛情・愛着を育む学習です。我が藤岡幼稚園でも90周年を迎える節目として、地域とのつながりと自園の歴史を振り返ってみたいと思います。
群馬県には、戦後の混乱時の昭和20年当時、10園のみの幼稚園が存在していました。その中のひとつに藤岡幼稚園(昭和5年9月10日創立)がありました。昭和5年、当時の藤岡町には幼稚園・保育園がなく、門屋ふさ氏(2代目園長)が帝都教育会附属教員保姆伝習所(現竹早教員養成所)卒業を機に、実父門屋盛一氏が私立藤岡幼稚園を設立(県内5番目)。門屋ふさ氏若年のため、隣接の緑野キリスト教会理事小泉たね氏(小泉信太郎氏夫人)に名誉園長を依頼し、運営にあたりました。
当時の帝都教育会附属教員保姆伝習所では、遠く満洲、朝鮮、北海道、九州、四国等から幼稚園の先生になるために生徒が集まりました。師範学校も一年間の在学で卒業出来た時代だが、一年間の就学の間に幼稚園の先生になろうと意気込んでいた学生38名が最後は2名になってしまいました。その2名の内の一人が門屋ふさ氏(志田ふさ)でした。
最も印象深いエピソードとしては・・・。 創立10年を過ぎた翌年、太平洋戦争が始まりました。 戦時中、幼稚園を軍需工場にするという話もありましたが、実父が、せっかく群馬県知事より私立幼稚園としての認可をいただいたのに要請を受けたとは言え幼稚園を止めることはない、との思いから一日も休みませんでした。子どもたちは下駄をはいて通園していましたが、物資不足で鼻緒がないので、先生が麻で鼻緒を作りそれを持って子どもの後を追いかけまわしていました。また、通園してきた子どもと日向ぼっこをしながら、つげの櫛を片手にシラミ取りに追われていました。出征中の家庭には、保育料が免除されていました。
今日までにまだまだ多くの苦労があったようですが、地域に根差した家業としての幼稚園を命がけで守りぬいてきた精神を引継ぎ、新しい今の時代も藤岡幼稚園らしさを守り育てていきたいと改めて思いました。 昨今、地域のつながりが薄くなってきたと言われます。私にとっては、園があるこの地域が、生まれ育った土地でもあります。地域とのつながりは「心の支え」にもなっています。私が園長としてできることは地域への恩返しで、感謝の気持ちを表すことだと考えています。園が90年存続できているのも、地域との共生があったからこそです。 これからも、社会全体と教育的な価値を共有しながら子どもたちを共に育てていきたいと思います。
《藤岡幼稚園歴代園長》
☆初代 小泉たね氏 ☆2代目 志田ふさ ☆3代目 山田佳栄子 ☆4代目 山田章善